はにみお死す!小学校4年で学校教育を否定した自由人の人生とは?

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両親は、映画監督の羽仁進と女優の左幸子

叔母は女優の左時枝で、祖父は歴史学者の羽仁五郎

曾祖母は自由学園創設者の羽仁もと子・・・

羽仁未央は、突然死去したのだ。


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羽仁未央の生涯

 

2014年11月18日午前0時3分、

肝不全のため東京都文京区の病院で死去しました。

羽仁未央(はに みお)

1964年2月29日 東京都出身のエッセイスト

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小学校4年生の時に学校教育を否定

 

それ以後は学校に通わず、学校教育も受けず、家で教育を受けたそうです。

今でこそ、このような選択肢もありですが

当時はいろいろ言われたみたいですね。

 

インタビュー記事⇒ 「不登校新聞」創刊1周年記念号に登場

 

学校を辞めたのは小学校四年生、九歳のときでした。

その前はパリにいたのですが、

そのころから学校には行きたくなかったんですね・・・

画一的な人生のパターンに向けて、

みんなが競争しているのは、異常な状況だと思います。

自由人なんですね。

羨ましいです。

まあ、一族が自由主義者の集まりみたいな感じですから・・・


 

父は、映画監督の羽仁進

 

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はに すすむ1928年10月10日

元妻は女優の左幸子

1959年結婚、1977年離婚

(原因は、幸子の妹、額村喜美子との浮気)


 

母は、左幸子

 

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ひだり さちこ1930年6月29日 富山県下新川郡朝日町出身

東京女子体育専門学校(現・東京女子体育大学)卒業

都立第五商業高校、國學院大學久我山中学校で

体育・音楽教師をしながら俳優座の委託生となり演技を学ぶ

2001年11月7日、肺癌のため死去。71歳没


 

叔母は女優の左時枝

 

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ひだり ときえ1947年3月27日

東京都立松原高等学校、東京女子体育大学卒業

 

崖の上のポニョのカヨの声をなさってました。

「ひまわりの家」の利用者で、

ヨシエと一緒に行動することが多い。若いころはキャリアウーマンだったらしい・・・

そんな役でした。


 

祖父は歴史学者の羽仁五郎

 

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はに ごろう

1901年(明治34年)3月29日 – 1983年(昭和58年)6月8日)

ドイツ留学の経歴もある、マルクス主義歴史学者

戦後のいわゆる進歩的文化人の代表的人物ですね。


 

曾祖母は自由学園創設者の羽仁もと子

 

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はに もとこ青森県八戸市出身

(1873年9月8日 – 1957年4月7日)

日本で女性初のジャーナリスト

自由学園の創立者

自由学園

自由学園の名称は新約聖書の

「真理はあなたたちを自由にする(ヨハネによる福音書 8:32)」に由来

 

フランク・ロイド・ライトはファミリースクールへの共感から

積極的に校舎の設計を引き受け、

後に自由学園明日館として国の重要文化財の指定を受けて一般に公開されている


 

フランク・ロイド・ライト

 

1867年6月8日 ~ 1959年4月9日

ウィスコンシン州に

牧師の父ウィリアム・ライトと母アンナの間の第1子として生まれた

ウィスコンシン大学マディソン校土木科を中途退学

1913年、帝国ホテル新館設計のために訪日。

以後もたびたび訪日し設計を進めたが、

大幅な予算オーバーと工期の遅れに起因する経営陣との衝突から、

このホテルの完成を見ることなく離日を余儀なくされた。

 

ホテルの建設は弟子の遠藤新の指揮のもと

その後も続けられ1923年に竣工した

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遠藤 新(えんどう あらた)

 

1889年6月1日 – 1951年6月29日

福島県宇多郡福田村(現:相馬郡新地町)に生まれる

東京帝国大学建築学科卒業

明治神宮の建設に関わった後、

1917年、帝国ホテルの設計を引き受けたライトの建築設計事務所に勤務

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(左から2番目が遠藤で、座っているのがライト)

 

9月1日に落成記念披露宴が開かれることになったが、

関東大震災が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。

周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われる中で、

小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルは

ひときわ人々の目を引いた。

ライトは二週間後このことを遠藤からの手紙で知り狂喜したという。

 

感動的なエピソードですね。


 

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芸術家や学者や役者・・・

まさに自由な環境でのびのび育ったんですね。

 

5~7歳をパリで、9~ 11歳をケニアで過ごし

10代の頃からコラムや映画の批評、短編小説、エッセイ等を執筆

1982年には、ナンセンスSFコメディ「ヘリウッド」で映画に出演も・・・

 

⇒ 「ヘリウッド」 遠藤賢司 東京ワッショイ

 

「ヘリウッド」は、長嶺高文監督の劇場公開作品で

地球侵略を企む謎の宇宙人たちと、

正義の使者及び少女探偵たちとの戦いを描いている

 

 

長嶺高文(ながみね たかふみ)

 

1953年12月29日 東京都台東区谷中生まれ

東京都立板橋高等学校~武蔵大学経済学部卒業

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(東京都練馬区豊玉上1-26-1)

1982年シネマ・プラセット製『ヘリウッド』が

熱烈な支持と強い反発という両極の反響からカルト映画と評される。

 

その後『ぶらり途中下車の旅』(2001年~ 日本テレビ)の

ディレクターとして活躍していたが・・・

奇しくも羽仁未央と同年の

2014年10月7日全身ガンで死去、60歳だった。

 


香港のアートを日本に紹介する活動などもしていた

 

羽仁未央は、

私は、いろんな生き方があるんだということを、

メディアの仕事を通じて伝えていきたいですね。

もっと多様な生き方を子どもたちがして、

それを大人が、

不安なくサポートできるようになったらいいですよね。

2014年11月18日羽仁未央永眠・・・合掌。


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    • 000
    • 2016年 12月26日

    「人と違う」っていうだけで特に何もできないセミナー屋さんだったね。
    親の金で自分勝手に生きるのを自由に生きると呼んでいたにすぎませんでした・・(ー人ー)合掌

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NOBUの自己紹介

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