若田宇宙飛行士は一休さん母タカヨさんはキャリアウーマンだった?

この記事は4分で読めます

宇宙飛行士の若田光一さんが一休さんだって?

どういうこと・・・

そして、若田宇宙飛行士を育てた母

若田 タカヨさんは、キャリアウーマンでした。


スポンサードリンク


 

今朝のあさイチ「プレミアムトーク 若田光一」は

とても、良かった。

 

若田光一宇宙飛行士は素晴らしい人物

ISSの船長なのに、エリートなのに、なんて優しいんだ。

 

簡潔にして、要を得た語りなのに

柔らかで、自然体な口調。

 

若田さんは、1963年(昭和38年)8月1日 埼玉県大宮市(現さいたま市北区)出身

(ぼくは、1960年だから、3つ下か・・・)

 

小学生時代の若田さん、

同級生女子たちは当時の若田さんを「一休さん」のイメージと話す・・・

 

学校で一休さんの劇をしたときに、光ちゃんが主役だったのです。心が温かくて知恵があり、何を聞いても答えてくれる。そして努力家。一休さんは光ちゃんそのものだと思いますね

 

1982年 埼玉県立浦和高等学校卒業

(埼玉を代表する進学校だよね )

 

野球少年だったみたいで、

浦和高等学校野球部に所属していたんだね。

 

2001年の全国高等学校野球選手権大会では、

始球式を務めてた。

(なんと、120km/h相当の速球でストライク!)

 

ちなみに、その年の優勝校は

西東京都代表の日大三高でした。

(決勝は私立近江高校に5対2で勝ち)

 

我が郷土茨城県代表は 常総学院で、

1回戦 常総学院 15 – 4 上宮太子

2回戦 秀岳館 3 – 0 常総学院で敗退。

 

野球の話はこれくらいで戻りますね。

1987年 九州大学工学部航空工学科卒業

 

シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠も

九州大学農学部農政経済学科の卒業生。

 

1948年、福岡県久留米市に生まれで

父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフ

父はアメリカの軍人だったみたい。

 

長女はモデルの鮎川陽子

1976年10月8日生まれ。

 

東京都立桜町高等学校卒業

(森英恵も卒業生)

 

フランスのトップモデルエージェンシー『NEXT』に所属して、

CHANELなどの一流のコレクションに出演している。

 


スポンサードリンク


 

また、だいぶ脱線しちゃいました・・・

 

九州大学在学中には、鳥人間コンテストにも出場

images

(読売テレビ主催による人力飛行機の滞空距離及び飛行時間を競う競技会)

 

その後、1989年に九州大学大学院工学研究科応用力学専攻修士課程修了し、

日本航空入社。

img_138575518691752d61306ab0145b129a33331

 

九州大学のドイツ人留学生だった

シュテファニー・フォン・ザクセン・アルテンブルクさんと結婚

 

若田さんは1992年4月、宇宙飛行士候補者に選ばれ

8月にNASA宇宙飛行士養成クラスに入る。

 

この養成校はそれまで外国人にはほとんど門戸が開かれておらず、

若田さんは初の日本人でした。

 

日本で飛行機の操縦などしたこともないのに、

約1週間の地上講習をしただけで、ジェット機で訓練。

 

これは、辛かったらしいが、

持前の努力と工夫と明るさで克服。

00pp0900_s

 

宇宙飛行士選抜試験で選ばれたとき、

若田さんは飛び抜けて高評価を得ていたわけではなかったらしい。

 

英語も、ビジネスに必要な英語力は身に付けていたが

用語が特殊でスピードが速いため

 

最初は全然だめだったらしい、

獣医出身のアメリカ人の同僚が

『俺も全然わからないから気にするな』といったぐらいの英語だったらしい。

 

若田さんいわく「キツイと感じるときが、伸びるときです」・・・

訓練開始から1年ほど経ったあるとき、「トンネルを抜けた瞬間」を感じたそうです

 

「それからは、シミュレーション訓練が楽しくて仕方なくなったのです」

何ごとも、壁を越えなくちゃならんのですね。

 

日本人で初めて、宇宙でロボットアーム操作や船外活動を担当できる

NASA宇宙飛行士(ミッションスペシャリスト)の資格をとり、

 

日本人で初めてNASA宇宙飛行士室のロボットアーム教官を担当

そして遂に、ISSの船長に就任。

 

エリートぞろいの世界の宇宙飛行士約100人のトップになったのです。

 

若田光一宇宙飛行士の母、若田タカヨさんの存在

5歳までが一生の土台をつくるとき。

わけがわからなくても、どんなこともきちんと道理を話して、

いい悪いの判断ができるようにしなければいけない。

体力をつけ精神的にも強い子に育てたい

小学生の頃、英語を習いたいと光一さんが言ったときも喜んで習わせ、

中学2年生でアメリカへのホームステイも経験させた。

 

アメリカの家族と過ごした日々は、見るものすべてが新しく、宇宙飛行以上に強烈だった

 

タカヨさんは、大分県の養蚕農家で

8人兄妹の7番目。

 

当時には珍しく、昭和女子高等学校(現・昭和学園高等学校)から

日本電信電話公社(現・NTT)日田報話局を経て、

 

大手町の東京市外電話局に勤務

建設省(現・国土交通省)に勤める若田暢茂さんと結婚した。

 

結婚後も、働き今のキャリアウーマンのさきがけでしょうか?

電電公社に勤めてから選抜試験に合格し、大学教育も受けている。

 

これだけの母親だと、普通理屈に走るんですけど

タカヨさんは、愛情もいっぱいなんです。

 

2009年06月15日、NEWS ZEROの小林キャスターの訪問時のインタビューでも、

元気で頑張ってくださいね、そして立派に任務を全うして
元気で帰ってきてくださいねって毎日声をかけているんですよ。

「私は陰膳をしているんです。毎日・・・」

(「陰膳」とは旅などに出た人の安全を祈り、家で食事を供えるもの)

 

すごく活発な子どもでですね。 
いろんなことに興味をもってとても楽しそうに何をやるときでもとっても楽しそうにやっておりました

 

タカヨさんの座右の銘は「心に太陽を持て」

 

なんと、朗らかな親子なんでしょう。

宇宙にそんな素晴らしい日本人が、ISSの船長として活躍してた・・・誇りです。

 

ありがとう、若田光一宇宙飛行士

ありがとう、タカヨさん。

 


スポンサードリンク

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

NOBUの自己紹介

NOBUです。 ブログをご覧になって頂きありがとうございます。 1960年、茨城県は土浦市に誕生しました。 面倒くさいことや、予定が苦手で 休日はたいてい家でゴロゴロしてテレビをみてます。 好きな番組は、「孤独のグルメ」「サラメシ」「深夜食堂」など・・・ 結果、食べ物大好きな親父です。 子供時代は「ウルトラQ」や「怪奇大作戦」なんかの チョイ暗めの作品をよくみてました。 本や、音楽も好きですよ。 北杜夫とジョン・レノンとブラームスは今でもお気に入りです。 この「ぼくのテレビデイズ」では、ぼくの視点から 大好きなテレビのあれこれを、語っていきたいと思います。 時には脱線した話題も書きたいと思います。 それではみなさん、どうぞ宜しくお願いいたします。